2005年12月20日
朝からやることが山済みだった。
もうすぐクリスマスでプレゼントの用意もぎりぎりだし、大学は冬休み直前でたまってるお仕事片付けなきゃだし、
第一発目にアタックする予定の人の下調べもしないといけないし!!!!
もう、てんてこまいになりながら、忙しくしていると、電話で「会えるかどうか微妙ですが・・・」と、大学にお仕事に来てた彼女が、ちょっと時間を作って、話を聞きに来てくれた。しかーし!私のほうが逆に手があかない!あいたと思ったら、彼女は取材!
あいやー!すれ違い。
・・・彼女の名前は、はるちゃん。
私の以前所属していたクラブ(映画研究会)の後輩である。
映画研究会といっても、映画を研究しているわけではない。
自主制作映画をつくっているクラブなのだ。
しかし、学年が3つ下の彼女とは、ほとんど接することがなく、クラブ内での関係は、
彼女が扮したゾンビに私が襲われるといった映画の共演をしたことくらいだろうか。
男子が90%を占めていたクラブで、彼女は部長さんで、「よくがんばってるなー」という印象を持っていた。
そんな彼女が、大学の広報誌『人文通信』で取材に来てくれたのは、もう3年くらい前のこと。
彼女は、クラブの傍ら、おもしろがる研究室という大学内の機関で、学生ライターもしていた。
私はその『人文通信vol.2』のトップを飾ったのだが、
4巻きでも書いたように、その人文通信の反応はすごかった。
読んで、ぴあから電話はかかってくるわ、その辺歩いてる学生から指さされるわ、学生課や教務課の職員にも会うたび声かけられた。
新入生にも全員配られたので、4月に初めて担当したゼミの1回生にも
「あ!人文通信のすごい女の人や!」と初対面で言われた。
このホームページは、まきずし大作戦のホームページなので、あえて言わなかったが、実は、私は「ラブホテル」を研究しているのである。
ラブホテルを調べ、ラブホテルの歴史を探り、ラブホテルのおかげで、今大学院にいる。
そしてその時、ラブホテルの研究しとります!と『人文通信』の表紙を飾ったのだ。
後から、聞いた話によると、
実は私の記事をトップに持ってくることについて、かなりの反対があったらしい。
その時大学の広報で、一番力を入れていた『人文通信』である。まだまだ始まったばかりのvol.2。
新入生の実家にも送られる。親への体裁もあるだろう。大学の品位も疑われるのではないか?
一体うちの大学は何を学ぶとこなんだ!
もう、教授やらなんやらが、それはそれは反対したらしい。
そ・こ・で!
はるちゃん登場である。(前置き長かったー)
はるちゃんが、学生であるにもかかわらず、すべての反対を押し切って、この企画を通してくれたのだ。
取材されてる当時、そんなこと、全く知らなかった。
もう全部後から偶然知った。
偶然知った時、「もうほんとに大変でしたー」と笑って彼女は言っていた。
そんな彼女が取材して、書いてくれた私の卒業論文完成までの七転八倒、
反響も反応もすごかった。
中には泣いて電話してきてくれた生徒もいた。
今でも持ってます、と言ってくれるゼミ生もいる。
私は私の学生時代に自信があるので、すごいのは当たり前だ。
でもそんなのたいがいなかなか伝わらない。
それが、彼女の文章にのって様々なところへ伝わって、たくさんの人の心に届いたんだと、
それは、まぎれもなくはるちゃんの文章の持つ力、すなわち文章力なんだと思ったのだ。
しばらく経って、彼女に
「なんでそんなに反対されたのに、私のこと取材したん?」
と聞いたことがある。
すると彼女は
「えーだって、いっきょんさんの研究面白いじゃないですか!
ぜったいみんなおもしろいと思うにちがいないって思ったんですよ!」
と笑って答えた。
・・・やっと時間があいた。
はるちゃんも取材が終わったようだ。
待ち合わせをして、ふたりでバスに乗った。
駅の近くのスターバックスで交互に本を見せながら、本気でプレゼンした。
「なあ!一緒にやらへん?ぜったい面白いとおもうねんけど!!」
はるちゃんは、始終びっくりしたような顔で
「あ、ありがとうございます。なんか私だけ得してるみたいでいいんですか?」
とかわけのわからないコメントとともにOKしてくれた。
(第6巻きにつづく)
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